対馬の万葉歌碑巡り&清掃ボランティアを行いました
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
今年最初の活動は、対馬島内に設置されている万葉の碑を巡り、その周辺を清掃するボランティア活動からスタートしました。
当実行委員会メンバーであり、観光ガイドとしても活躍されている古場公章さんにご案内いただき、厳原町から美津島町にかけて合計10箇所の万葉の碑を巡りながら勉強し、周辺の清掃活動を行いました。
歌碑は、古いものでは昭和57年から令和3年に設置されたものまであり、それぞれが立派で綺麗な状態を保っていました。改めて歌碑を目にすると、その石碑の大きさや文字の美しさに驚きます。
普段は何気なく通り過ぎてしまう場所でも、少し立ち止まって歌碑やその周りの景色を眺めると、また新たな発見がありますね。
今回改めて万葉歌碑を巡ることで、私たち自身、事業に対する理解を深める大変有意義な時間となりました。
本年も、たくさんの人々に対馬の万葉集や歴史・文化の魅力を届けるための機会を設けていきたいと思っています。ボランティア活動やイベントを通じて、より多くの方に対馬の魅力を感じていただけるよう、実行委員会一同努力してまいります!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
【対馬万葉の碑をご紹介】『対馬が舞台となった万葉歌』参照
「ありねよし 対馬の渡り 海中に 幣取り向けて 早帰り来ね」(大宝元年 遣唐使船 春日蔵首老の作る歌)
【現代語訳】目印になる山がある対馬沖の海上、特に風浪が高い難所なので、海の神様に幣を捧げ早く帰ってきてください。
「竹敷(たかしき)の 浦みの黄葉(もみじ) 我行(われい)きて 帰りくるまで 散りこすなゆめ」(天平8年 遣新羅使の歌)
【現代語訳】 竹敷の浦辺の黄葉よ わたしが新羅行って帰って来るまで 散ってくれるな、決して
「竹敷の うえかた山は 紅の 八入(やしお)の色に なりにけるかも」(天平8年 遣新羅使の歌)
【現代語訳】 竹敷のうへかた山は 紅の染料に 何回も浸したような鮮やかな紅色になったなあ
「百船(ももふね)の 泊つる対馬の 浅茅山(あさじやま) しぐれの雨に もみたいにけり」(天平8年 遣新羅使の歌)
【現代語訳】 たくさんの舟が停泊する港がある。対馬の浅茅山は、このしぐれの雨で一面に色づいてしまったなぁ
「百船(ももふね)の 泊つる対馬の 浅茅山(あさじやま) しぐれの雨に もみたいにけり」(天平8年 遣新羅使の歌)
【現代語訳】 たくさんの舟が停泊する港がある。対馬の浅茅山は、このしぐれの雨で一面に色づいてしまったなぁ
「竹敷の 玉藻(たまも)なびかし 漕ぎ出なむ 君がみ舟を 何時とか待たむ」(天平8年 対馬娘子玉槻)
【現代語訳】 竹敷の浦の玉藻(ほんだわら)をなびかせて漕ぎ出されるあなたの船を、お帰りはいつ..と思ってお待ちしたらよろしでしょうか。
「潮干なば またも吾れ来む いざ行かむ 沖つ潮騒(しおさい) 高く立ち来ぬ」 (天平8年 遣新羅使の歌)
【現代語訳】 潮が干いたならば、再びここに(貝拾いに)やって来よう。 しかし今はさあ行こう。 沖の潮鳴りが大きくなり、波が高く寄せてきたので
「対馬の嶺(ね)は下雲あらなふ 神(上)の嶺に たなびく雲を見つつ偲はも」(年代不詳 九州出征の時の歌)
【現代語訳】 対馬の嶺(高い山)には 地面から湧き立つような雲はないが、高い神(上)の嶺にたなびく雲を見ながらお前を深く想っていよう
「秋されば 置く露霜(つゆしも)に 堪えずして 都の山は 色づきぬらむ」(天平8年 遣新羅使の歌)
【現代語訳】 秋になると降りる露に抵抗しきれずに都の山は色づいていることだろう
「紫の 粉潟(こがた)の海に 潜く鳥 玉潜き出ば 我が玉にせむ」(年代・作者 不詳)
【現代語訳】 粉潟の海に潜る水鳥が、水中から玉を拾って来たならば、それは私の玉にしよう